図書館学徒の雑記帳

図書館が好きな政治学科生です

読書記録ー太宰治『人間失格』

太宰治人間失格』を読みました。

 

大学生の有志でだいたい2週間ごとにやっている読書会の課題本で、その読書会は「新潮文庫の100冊を読破する」というテーマで去年からやってます。35回目くらいの開催。

 

この本を読んだのは人生で三度目くらいだと思うけど、前回読んだのがいつか覚えてないので、、、読み始めてから(ああ、めっちゃ読んだことあるな)となりました。

 

内容は、まあ、太宰治自身が投影された主人公の葉蔵が、「社会の人間」として生きることができず、自分で自分に人間失格と言い渡す、という話です。読んでください。

 

個人的に、物語の内容を単独で掘り進める作業よりも、他の本を挙げながら語るのが好きなので、そういう感想の書き方をします。

 

まず、この小説は主人公の「他人(の気持ち)がわからずに困惑する」という独白から始まるのですが、そんな彼におすすめの本があります。河合隼雄の『こころの処方箋』です。

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この本はすご〜く平易な「読むカウンセリング」で、4ページごとにテーマを変えて、55テーマが収録されています。目次を見て気になるテーマだけを読むこともできます。内容は、メンタルがなんでもない時は「こんなん常識や〜」となるのですが、もしかしたら必要な時が来るのかもな、という感じです。お守りというか、まさに「処方箋」として手元に置いておきたい一冊です。

それで、この本の最初のテーマが「人の心などわかるはずがない」なのです。ベテランカウンセラーの著者が、「よく勘違いされるんですが、クライアントの心は全くわかりません」と述べています。もしこの本に葉蔵が出会っていたら...などとクダラないことを考えました。

 

それから、この小説では主人公は最後に(一応)生きて、その後まもなく筆者の太宰治が入水自殺します。この「主人公を生かして自分が死ぬ」構図に、僕は注目したい。三島由紀夫太宰治の後輩世代(16歳下)の文筆家で、太宰の作品が嫌いだったことで有名です。そんな三島由紀夫の『金閣寺』で、主人公は最後の最後に金閣寺と一緒に燃え死ぬことなく、「生きようと私は思った」という鮮やかな結びを迎えます。

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そして、三島由紀夫はこの結末を、「主人公を死なせることも考えたが、敢えて生かすことで、私も生きてゆくことができた」と振り返っています。

このような三島の「主人公を生かして筆者も生かす」構図や、「主人公を殺して筆者が生き延びる」構図(ヘッセ『車輪の下』とか)の作品とは対照的に、太宰の「主人公を生かして筆者が死ぬ」というのは新鮮でした。もしかしたら、実は太宰はどこかでまだ生きていたいと感じていたのかもしれない...と考えてしまいます。

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というのも、2019年に公開された映画「人間失格太宰治と3人の女たち」では、そのような「実は心のどこかでまだ生きたいと思ってた」という解釈がされているからです。この作品は、人間失格を描いてから自殺するまでの太宰治小栗旬)を、当時の人間関係に即しつつ所々オマージュした秀逸な映画です。ちょっとエッチなので、高校生の頃彼女と見に行ってドギマギした思い出があります。ぜひこれも観てください。

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最後に、主人公の葉蔵は真実や愛を求めて「真に人間的に生きようとた」結果、エゴイズムの渦巻く人間社会では「人間失格」となるという「人間的たるには、非人間的に生きざるを得ない」という逆説に直面しました。まさに同じテーマがドストエフスキー『白痴』でも描かれています。世俗化や終戦の激動期を生きた19~20世紀はともかく、資本主義とエゴイズムがずいぶん支配的なイデオロギーとなった現代において、この命題を正確に掴むことは難しいようにも感じます。「真実に生きる」ことが一体何なのか、若輩者の僕には一向わかりません。わかる日は来るのかな?

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